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篤姫 第50回(最終回)「一本の道」

  • 2008/12/20(土) 23:59:02

【感想概略】
今回は「篤姫」の最終回であり、江戸城無血開城以後から明治時代、そして天璋院の死までが描かれたお話である。
明治の天璋院を描いた作品はあまり目にすることがなかったので興味深く、明治時代での天璋院の生き様が描かれ、天璋院に関わった人びとの姿が描かれ、おもしろく、見応えがあり、最後に楽しめた最終回であり、良かったと思う。


【勝、天璋院を訪ねる】
前回、天璋院たちは江戸城を去った。
そして今回のお話は、明治元年からはじまる。

赤坂の紀州屋敷に住まう天璋院を、勝が訪ねてきた。
手土産は立派な鮭と、酒の詰まった角樽である。
本寿院はみやげに大喜び、「勝どの勝どの」と心底嬉しそうな様子である。

そして勝は、駿河70万石に減封された徳川家の現状について、当主・家達は武芸学問の鍛錬に励んでいること、家臣たちは畑を開くなどして暮らしを安定させるため前向きに頑張っていることを報告する。
天璋院は家達の様子には笑みを浮かべるが、家臣たちの苦労には心が痛む様子である。

天璋院は勝に、時局について尋ねた。
すると勝は、薩摩が新政府の中心となるようだと言う。
複雑な様子の天璋院である。

この頃は、戊辰戦争が継続中であり、各地で旧幕臣が新政府軍に抵抗を続けているのだが、天璋院としては、まだ新政府に降伏して間もなく、公的な発言など許されず、戦闘停止を呼びかけることなどとても出来ないというところだろうか。

【帯刀、版籍奉還を久光に進言】
薩摩の鶴丸城。
家老・小松帯刀は、国父・久光に版籍奉還を進言。
まずは小松家の領地を返上すると申し出た。

久光は帯刀へ、静かに問う。
小松家の先祖たちに申し訳がないとは思わないのかと。

すると帯刀、過去に囚われては新しい国は作れないと言い、薩摩が率先して版籍奉還を行なえば、薩摩の先見の明を天下に知らしめることになるのだと訴えた。

久光は帯刀の進言を受け、版籍奉還の件を承認した。
ここで久光は帯刀に、大久保や西郷という下級藩士出身者たちが薩摩藩を動かしていることに、苦々しい気持ちがあることを明かした。
すると帯刀は、苦しそうな様子で話をきり上げ、退出してしまう。

一人残された久光は、亡き兄・斉彬につぶやく。
これが斉彬の夢見た新しき国の姿なのかと。

久光は、帯刀が自分に隠し事をしていること、そして時代は自分の想像を遥かに越えて大きく変わるであろうことを、それは必ずしも久光の望んだものではないことを察しながらも、帯刀に全てを委ねている様子である。
ここら辺、久光が格好良かった。

【お幸と兄、侍女・しの、天璋院を訪ねる】
明治2年。
薩摩から天璋院に客が訪れた。
何と、天璋院の母・お幸、兄・忠敬、そして侍女・しのである。
天璋院が母たちと会うのは、実に15年ぶりである。

お幸は天璋院の姿をみると思わず「於一…」とつぶやいてしまう。
だが、目の前の女性は徳川将軍家の大御台所である。
お幸と忠敬は両手をついて深々と頭を下げ、貴人への礼を執った。

すると天璋院はお幸の手を取って「於一で良いのです…」と言う。
天璋院とお幸は、たちまち元の母と娘に戻った。
そして忠敬も、ちょっと意地悪で口がわるいが、根は優しく妹おもいなところは相変わらずであり、天璋院をからかって笑いあうのである。

天璋院は、侍女・しのにも訪ねてくれたことに礼を言う。
しのは、かつて天璋院が薩摩藩主・斉彬の養女となり鶴丸城へ上がった時、ただ一人今泉島津家から天璋院に仕え続けた侍女である。その頃、天璋院にとって、しのはただ一人心を許せる相手だったのである。
天璋院はしのとの再会を喜び、しのと笑みを交わした。

お幸は、天璋院を「よくがんばりましたね」と誉めた。
すると天璋院は言う。
自分は母に教わったことを守ってきたのだと。
己の役割を果たすこと、片方聞いて沙汰しないこと、そして考えても分からない時は感じるままにせよということを。
だからこそ折々によき道が開けてきたと思うのだと。

お幸は、「そんなあなたの母であることを誇りに思います」と言い、家族三人は笑いあった。

【帯刀の死】
小松帯刀はいよいよ病が重くなり、大坂で入院していた。
看病するのは側室・お琴である。

責任感の強い帯刀は、新国家建設の途中で病に倒れたことが心底無念そうである。
そんなある日、薩摩から正室・お近がやってきた。
お近は、お琴と手紙をやり取りしていたことを明かし、お琴と二人で帯刀を看病するという。
このお近の配慮に、お琴も感激の様子である。

だが帯刀はもはや病床を離れることができない。
帯刀は、最後の力で西郷と大久保に手紙を書いた。

そして明治3年7月20日。
帯刀はお近にこれまでの礼を言うと目を閉じ、動かなくなった。
お近は「尚五郎さん…」とつぶやき、帯刀のために泣いた。

【大久保、天璋院を訪ねる】
明治3年8月。
赤阪の紀州屋敷の天璋院を、大久保が訪ねた。
大久保と直接会うのは、薩摩を旅立った時以来だろうか。

大久保は天璋院が姿を見せると手をついて頭を下げ、大御台所への礼を執った。

天璋院は大久保との再会を嬉しくは思うのだが、内心は複雑である。
今の大久保は新政府の実力者、一方、天璋院は敗者である徳川将軍家の人間なのである。
天璋院は大久保に、「新政府の大久保どのが、いかなる御用でしょうか?」と尋ねた。

すると大久保、薩摩の大久保正助として来たと言う。
そして居住まいを正し、帯刀の死を伝えた。
大久保は、自分が帯刀にできるせめてものこととして、天璋院の元に来たというところだろうか。

大久保は言う。
帯刀は最後の最後までこの国を案じていた、そして自分は帯刀の遺志を継ぐつもりなのだと。
一方、天璋院は衝撃のあまり、一瞬頭が真っ白になった様子である。

そして天璋院は一人になると、帯刀と交換したお守りを握りしめ、帯刀を思い、娘のように泣いた。

【大久保、薩摩の西郷を訪ねる】
新政府では、大久保と桂小五郎、そして岩倉具視たちが廃藩置県について協議していた。
廃藩置県は近代国家建設に必要であるが、岩倉は難しい顔である。
これは261藩の藩主たちに退いてもらうことであり、今の新政府にできるのかと。

そして桂は、廃藩置県を推し進めるには、人望と実力のある人物の力が必要と言う。
大久保は二人の言葉に、何事かを決意した様子である。

この頃、西郷は新政府から離れ、薩摩に帰っていた。
ある日、西郷は囲炉裏端で、帯刀からの手紙を眺めていた。
帯刀は、手紙の中で、西郷と大久保が力を合わせなければ新しい日本は実現しないのだと必死で訴えている。

すると大久保が訪ねてきた。
大久保は西郷に、薩摩は遠いと声をかけると、囲炉裏端にあぐらをかく。
そして懐から帯刀からの手紙を取り出し、西郷に示した。
これで西郷の心は決まった。

そして明治4年。
西郷は新政府に復帰。大久保と固く抱擁を交わすと政務に取り組み、廃藩置県を推し進めるのである。

この廃藩置県により、徳川家当主・家達は知藩事を免ぜられ、東京へ戻ってきた。
そして天璋院たちと暮らし始めるのである。

【西郷との別れ】
明治6年。
天璋院の元を、西郷が訪ねて来た。

西郷は廊下に控えて頭を下げ、天璋院からもう少し近くにと声をかけられても遠慮する。
西郷としては、天璋院を苦しめてしまったことへのケジメとして、あくまで貴人への礼を執るということだろうか。

そして西郷は薩摩に帰るといい、別れの挨拶に来たのだと言う。

天璋院は西郷の様子を見ると、何かあったのか尋ねた。
すると西郷は言う。
自分は古い男であり、古いものを易々とは捨てることができない。
だが自分は政府では他のものと衝突してしまい、自分がいると大久保も思うようにできないようなのだと。
どうやらこれは、征韓論で大久保たちと対立したことを言っているようである。

そして西郷は天璋院に、江戸総攻めを思いとどまらせてくれたことに礼を言い、今でも自分の主君は斉彬のみと思っていると打ち明けた。
天璋院は西郷に、亡き義父・斉彬も喜ぶだろうと言い、西郷に笑いかけた。

【和宮との再会】
明治7年。
天璋院を、静寛院こと和宮が訪ねて来た。
江戸城明け渡しの後、京に帰った静寛院だが、再び東京に住まいを移したのである。

再会を互いに喜ぶ天璋院と静寛院である。
さっそく二人は、勝のエスコートで一緒に芝居見物へ赴く。
その後は、勝の屋敷で一緒に食事であり、互いに給仕しあい、微笑み合うのである。

そして静寛院は、実は天璋院と家茂の互いに理解しあい心を通わせている姿に嫉妬していたことを明かす。
すると天璋院は、家茂は、家定を失った悲しみから救ってくれた方なのだといい、笑みを浮かべた。
家茂の話題でも、絆を深め合う天璋院と静寛院である。

だがこの後、静寛院は32歳の若さで世を去ってしまうのである。

【天璋院と勝】
天璋院の元にちょくちょく顔を出すのは、勝である。
勝は、新政府が四民平等を推し進める政策を打ち出すこと、だがすんなりとは進まないようだと報告する。
すると天璋院、「それはそうであろう」と新政府の大久保たちの苦難に理解を示す。
天璋院は、身分制度の撤廃に賛成であり、そして大久保を応援している様子である。

かつて天璋院は少女の頃、薩摩藩家老・調所広郷に尋ねたことがある。
人間が役割を超えて、人と人とが上手くやっていく方法はないものだろうかと。

身分制度の消滅は、役割を超えた世界に一歩近づくことと天璋院には思えたというところだろうか。

【大奥の仲間たちと再会】
明治9年。
徳川宗家の家達も年頃となり、近衛泰子(ひろこ)と婚約した。
天璋院はこれを祝い、家達と婚約者と一緒に記念撮影をしてもらうのである。
撮影する写真屋は何と、かつての瓦版売りであり、婚約者の表情が固いと百面相で笑わせ、その一瞬を撮影するのである。

すると唐橋が現れ、天璋院に客だと言う。
何と、滝山と重野をはじめとする、かつての大奥奥女中たちである。

滝山は笑顔で言う。
徳川宗家当主が婚約と聞き、一言お祝いを申し述べたく参上したと。

思わぬ再会に天璋院は大感激。
本寿院も久々に滝山の顔をみて大喜びである。

そして天璋院はふと思いつき、みんなで記念撮影をすることにした。
カメラの前で天璋院はつぶやく。
「今日は、最良の日じゃ」

【お近からの手紙】
明治10年。
西南戦争が勃発し、西郷は新政府軍に追い詰められ、城山で自刃した。

翌、明治11年。
大久保は馬車で移動中、不平士族たちに襲われ、暗殺された。
死の間際、大久保は思わず口にする。
まだまだ遣り残したことばかり、だがこういうものなのだろうかと。
そして最後に、西郷の名をつぶやき、死んだ。

天璋院は、親しい人が次々と亡くなっていくことが苦しそうな様子である。
そんなある日。
薩摩のお近から、手紙と香木が送られてきた。
手紙の中でお近は、天璋院の苦痛に理解を示し、その心痛の案じた。

そしてお近は綴る。
この香木は、亡き帯刀が京に上った時、お守りとして渡したものであり、天璋院に持っていてほしいのだと。

お近は続ける。
外国で生まれた若木が香木となり、縁あってお近の手元で香り、そして天璋院の元で香ることになった。人の志もそのようなものではないかと。

そしてお近は言う。
亡き帯刀、西郷や大久保、龍馬、そして天璋院の志を、我が子に伝えていくつもりなのだと。

天璋院は、お近の言葉に元気をもらった様子である。

【天璋院の死】
明治16年、家達の妻が懐妊した。
天璋院はこれを喜び、さっそく乳幼児用の縫い物をはじめた。
すると勝が訪ねて来た。

かつて滅亡間際に追い詰められた徳川宗家であるが、今では旧家として持ち直し、そしてまた新しい世代が生まれようとしていることに、勝は感慨深げである。

すると天璋院は言う。
自分は亡き家定の思いを受け継ぎ、徳川の心を子々孫々に伝えることを我が道と定めて歩んできた。
今となっては、人のしあわせとは、地位や名誉、ましてや財産などではなく、親しい友や家族と過ごす穏やかな日々にこそあると思っているのだと。

天璋院の至った境地に、思わず男涙を滲ませる勝である。

その晩。
天璋院は、座ったまま息を引き取った。

そして天璋院の魂は、過去の思い出にさかのぼり、若返っていく。

江戸城明け渡しを大奥のひとびとに申し伝えたこと。
慶喜と最初で最後に本音で話し、はじめて心を通わせたこと。
和宮とは大きなものを背負う者同士、なかなか上手くいかなかったこと。
家茂と心を通わせ、家茂を支えようと懸命だったこと。
対立していた井伊直弼に、一対一で本音でぶつかり、互いに心に通ずるものをかんじあうことが出来、理解しあうことが出来ると思えたこと。

家定と出会い、本当の心でぶつかるうちに心を通わせることが出来たこと、そして家定との別れ。
幾島と出会い、反発し、やがて強い絆で結ばれたこと。
斉彬と出会い、見出され、互いに理解しあったこと。

西郷と出会い、大久保と出会い、その人柄と生き様に敬意を抱き、互いに好ましく思ったこと。

今泉島津家の父のこと、母のこと、兄のこと、老女・菊本のこと。
無二の友・尚五郎のこと。

いつしか天璋院は於一に戻っていた。
於一は、野原を駆け抜け、侍女たちを振り切る。
そして於一は満面の笑みを浮かべ、手を振り続けた。


おわり

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  • From: 一本気新聞 www.ippongi.com |
  • 2008/12/25(木) 19:27:28

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